手元に祖父の懐中時計があります。
僕が子供の頃、父が祖父の家から持ち帰ってきたものです。
「これくれるか?って聞いたら、おやじ、惜しそうな顔してたなあ」
後で父がそう言っていたのを覚えています。
父も亡くなり、箪笥の整理をしていた時に、偶然この時計を見つけました。
調べてみると、ケースは真鍮ですが、
スイス製モーリスのクロノメーターということで、
恐らく1930年代製という所でしょうか。
ちょうど祖父の青春時代と重なりますが、
これを持参して戦地に赴いたかまでは分かりません。
僕の祖父は職業軍人だったと聞いていました。
昨年夏、諏訪のおじさん宅にお世話になった折、色々と聞いてみると、
どうやら職業軍人という言葉の認識に誤解があったようで、
よくよく聞くと、「軍属」でトラック島に行っていたという事が分かりました。
軍属というのは民間人が専門家として軍隊に同行する事をいって、
直接戦闘には関わらないのですが、組織としては軍隊のような形を取って、
軍隊に同行するわけです。
祖父は日中戦争時には大陸へ兵隊として赴き、軍曹だったという事です。
そして一旦除隊して、再び軍属として太平洋へ向かったわけです。
トラック島では土木に関する親方みたいな事をしており、
軍隊での階級は軍曹ですし、軍属部隊での位も上の方だったようなので、
「親方、親方」と慕われてずいぶんいい思いをしたようです。
盧溝橋事件からトラック島までこの時計は旅してきたのかなあ?
なんて想いを馳せると、不思議な気分になります。
まだチクタクちゃんと動きます。
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