午前中、買い物に行ったお店のトイレにて。
手を洗おうとした時、
鏡の前に500円硬貨が置いてありました。
あまりに「どうぞ的」すぎたのか、
誰も取らなかったらしく、
罠だと知りつつ橋本が頂いたかどうかは、
そりゃあこんな場所じゃ言えねえな。
午前中、買い物に行ったお店のトイレにて。
手を洗おうとした時、
鏡の前に500円硬貨が置いてありました。
あまりに「どうぞ的」すぎたのか、
誰も取らなかったらしく、
罠だと知りつつ橋本が頂いたかどうかは、
そりゃあこんな場所じゃ言えねえな。
コメントをお書きください
kotsuban (水曜日, 28 5月 2014 18:39)
はじめまして。お初に書き込ませて頂きます。
先日、子供が風邪をひきまして、病院に行ったのですが、そこの待合室で「かばんねこ」を子供に読み聞かせました。とてもよい作品でした。4歳の息子も何か思う所があったようです。
私は子供が出来るまで絵本に触れたことがありませんでしたが、近年、手に取るようになると、文学や音楽などと同じように作品の良しあしがあることが分かりました。
橋本さんのおっしゃるように、可愛いだけの、雰囲気があるだけの、使いやすいだけの作品がどんなに多いことでしょう。 "子供のため"という方便を用いた、そんな作品がとても多いように感じられます。
特に、近年の、若い日本人著者の書いた絵本はそれが顕著で、いかにもサブカルチャー好きな美大出身者が書いたような、キャッチ―でポップな、そして、絵、話ともに、古典的な絵本のうわずみだけを取ったような作品ばかりで、現代の日本の絵本というのは、そのようなものと定義されてしまったのではないかという印象すら受けます。
「かばんねこ」は、そうではありませんでした。 読了後、奥付のページの出版年を再確認してしまったほどです(笑)
もちろん、過去の作品に似ているというのではなく、時代性を感じさせない内容であり、絵本としての普遍性を強く持っている作品だと感じられたのです。
絵も、物語も、誰がいつ読んでも、理解し、感じることができるものであり、その意味でこの絵本には今の時代ではない、他国の子供たちが読んでも同じように受け取ることが出来る作品だと思います。
かばんねこが、最後まで自分のあり方を崩さないままお話が終わるのがすばらしいです。 改心することで、以前の自分を捨てることで、物事が好転していくという作品が多い中、最後の最後までかばんねこはかばんねこのままだったという結末が美しいと思います。
偶然出会った絵本でしたが、こんな良心的な絵本を創作している方がいらっしゃるということが嬉しく感じられましたので、長文になりましたが、感想を書き込ませて頂きました。
よい絵本をありがとうございました!
yutaka-hashimoto (木曜日, 29 5月 2014 10:13)
kotsubanさま
その後お子様の風邪は良くなりましたでしょうか?
この度は感想をありがとうございました。
かばんねこは、二作目、三作目も書きましたが、やはり一作目だけは特別な存在です。その作品をお褒め頂けたのはとても光栄です。
イラストレーターという時代性の流れの中にいる自分ですが、仰って頂けたように、時代を超える作品を少しでも作り出していけたらいいな。と思っています。
そして、作品というのは分かる人には誤摩化しがきかないので、結局はその人の総体なのかな?とも思います。
なので、いつも正直に、そうですね、かばんねこみたいに最後まで自分らしくいられたらいいですよね。
こちらこそありがとうございました!