ホッケ考

ホッケが嫌いです。

いや、正確に言うと、嫌いでした。

 

ホッケって、なんだか生臭くて、身に締まりがなくて、特筆するような味もない安魚。まるで俺の生き方に反するような魚ではないか!と、半ばポリシーのように嫌っていました。

でも今回、北海道の炉端焼きで、でっかい強羅産のホッケを食べて考えが変わりました。

 

「全然臭くなくて普通に美味しい」

 

そしてそれより何より、札幌のおじさんが送ってくれたシマホッケを昨夜食べて、より一層考えを改めないといけなくなりました。

 

「大きくて、脂が乗っていて、本当に美味しい!」

 

大きな一匹を焼いて、そのまま皆で箸でつついて食べたのですが、それも楽しい。

いや、それが楽しくて美味しかった。

ホッケって、本当はこうやって食べるから美味しいのかも?

 

 

明治以降の歴史しかない北海道では、家族の共同体意識を重んじて、食事の時には銘々膳という文化が省略されたのではないか?と橋本は推測しました。

東京は江戸の文化を継いでいますから、家長制度、銘々膳、つまり大きな魚は切り分けて銘々に配膳する。といった文化の残滓が現代まで続いているように思えます。無意識に、魚にも寸法というのがありますよね?こちらではあんまり大きな魚は好まれないと思います。

でも、北海道では実質主義がまかり通るので、鮭やホッケなど、大きな魚をそのまま料理して、一族皆でモソモソ食べたんだろうなあ。と。なにせ新天地ですから。

 

そんな事を嫁と話しながらホッケと北海道に思いを馳せていたのですが、

そのホッケ。

漁獲高が減っていて、今では高級魚扱いらしいですが、居酒屋じゃなくて、家で大きなヤツを一匹焼いてもらって、お茶碗片手に皆でつっついて食べてみて下さい。きっと美味しいから。