ヨータの机に広げてあった学研の国語の宿題を何気なく読んでいました。
文章問題。
きちんと回答できています。
でも、これ結構難しいよ。
課題文を読み解いて、考えて回答にたどり着く。
どんな子でも、何となくぼんやりと回答らしきものは分かるような気がします。でも、その「らしきもの」を頭の中で想像してから言語化し、短い文章にまとめ上げて現実に紙に書き付けるという行為は、長い長いトレーニングが必要だと感じました。
学生時代、いったい何のために勉強なんかするのか?実際何のに役立つのか?とよく自問したものですが、その自問自体に回答が含まれているとは全く気が付きませんでした。
つまり、問題に対し想像し、予想し、言語化し、まとめ上げ、回答を書き付ける(行動に移す)。こういった一連の行為が全ての勉強のベースであり、それはとりもなおさず、将来自分自身で考えて行動に移す為のトレーニングに他ならないからです。
何のために?〜と自問した割には何も回答を導き出せなかった自分は、結局その力がついていなかったんだと思いますが、子供の宿題を見て、この歳になって初めて実感として理解ができたような気がします。
勿論、学校の勉強だけが全てではないので、勉強が得意でなくても頭の良い人も沢山います。そういう人たちは、元々自分の考えを行動に移せる素質があったか、他の場所で学ぶ事ができた人たちだと思います。
ただ、歴史的一般的に言うと、勉強は大多数の子供たちに有効であるという意味合いなんでしょう。
将来、自分で考えて行動に移せる力があれば、どんな困難な状況でも生きていく事ができると思います。そう思うと、勉強にも少しは意味を見いだせるんじゃないかな?と思うのですが。
まあ大げさかもしれないけどさ。
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