瞑想ウォーク。そうとばかり思って歩いていましたが、昨日訪れた尾崎豊の墓をコースに組み込んでみた結果(結局入れてみた)、いつもの散歩が途端に巡礼じみた様相を呈して参りました。
彼の墓石に刻まれた「生きること。それは日々を告白していくことだろう」という言葉を実際に目にすると、どうしたって「生と死」を感じずにはいられません。そしてその言葉は、僕がいつも歩いていた場所に点在している寺社での祈りや、自然の風景をただひとつに繋ぎとめてしまった様な気がします。それと10代の頃の僕も。点と点だった無意味な場所全てに電流が流れ、自分の過去と現在が繋がってぐるぐると回り始めてしまった様な・・・
イザナギやオルフェウスの様に過去を求め冥府へと下り、過去に追われ再び現世へと戻ってくる生と死の巡礼ウォーク。いや、こりゃもうお遍路か。
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