僕は仏像関係が好きで、たまに道具屋などで見つけて買ってきます。
でも、信仰心からではなくて、信心深い雰囲気が好きだから。部屋にレイアウトして、ルミナラを灯してうっとりする。ま、そんなぐらいです。
そんな僕も神社や寺では手を合わせますが、信心というよりも、過去の膨大な人々の祈りの場所に対しての祈りといった意味合いが強い。宗教なんて歴史を見ると無数に出来たり無くなったりしているので、何を拝もうと結局は意味なんてないんじゃないか?と思います。だから僕は人々の祈りに祈る。でもこれは、結局拝む対象が何でもありの抽象的な存在である神道に近く、ごく日本人的な感覚なのかもしれません。
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