志賀直哉が好きだ。
小説の神様と言われ戦前は圧倒的な存在感で人気があったらしいが、今は誰も読まない。
また暗夜行路が彼の代表作のように言われるが、元々彼は短編が得意な人で、僕にしてみればあれは失敗作に近い。
だが僕の様に「最近ガーシー足りてねえな。」と思って暗夜行路を何回も読んでいる様なガーシストには嬉しい存在である。
なぜなら暗夜行路はガーシー唯一の長編小説だからだ。
良し悪しを超えて、ただ長時間ガーシーを味わえる。
そんな敬愛すべきガーシー事、志賀直哉だが、当時の知識人階級にしては珍しく、スポーツ万能な体育会系であった。
明治の末期であろうか。小遣いで(今では自動車が買えるぐらいの大金)輸入自転車を購入し、東京から横浜まで爆走したり、坂道でチキンレースを繰り広げたりしていた。
向かう所敵なしの暴走族だったらしい。
また当時の自転車は今のそれと違ってフリーラチャット式ではなく、ギア固定式だった。今の競輪自転車と同じで、足の回転と車輪の回転がチェーンで連動している方式である。
所謂ピストバイクだ。ブレーキも付いていない。
こんな自転車で当時の未舗装道路を暴走していたのだから、相当な輩といっていい。
しかしこれだけ自転車にハマっていたのに、後年「今の自転車は構造が違うから…」と言って乗らなくなってしまった。
老齢になり、怪我をしてから体力的な問題もあっただろうが、時代が移り、世間一般では乗りやすいフリーラチェット式の自転車が一般的となり、ガーシーが慣れ親しんだギア固定式のピストバイクは乗りたくても手に入らなくなってしまったのではないかと僕は思っている。
現代でもブレーキのないピストバイクの公道走行は違法なのだから。
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