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1999年12月の自分へ

昨夜、眠れずに考えていた。

もし過去に戻れたら、若かった自分にどんなアドバイスをするだろうか。

 

来年は2025年で、丁度25年前の1999年12月末に僕はデザイナーを辞める事になっている。

さてそれでは、帽子を目深にかぶりマスクをして、1999年当時の渋谷にあったデザイン会社に出かけようではないか。

池袋から山手線で渋谷に出て、宮益口から歩いて10分。勝手知ったる裏階段で2階に上がり、重いドアを開ける。

 

「すみません。橋本さんいらっしゃいますか?」

 

入り口には大きなライトテーブルが置いてあって、シュレッダー横の古いラジカセからはJ-WAVEが流れている。

 

あいつが出てきたら何て言おう。

これから失敗するであろう事、苦しむであろう事、止めておいた方がいい事…様々に考えた。

 

しかし、いったい今まで後悔があっただろうか。

苦しい事を経験しなければ気が付かなかった事も多かった。

住み慣れた土地を離れて冒険に出たからこそ得られた経験もかけがえのないものとなった。

思い描いていた未来とはちょっと違うが、まあ、概ね満足だ。

特に後悔などないではないか。

 

ワインレッドのセーターを着た生意気そうな若い僕がパーテーションの奥から出て来る。

 

「あの、すみませんが、どなたですか?」

「〇〇先生の友人でして、橋本さんが退職されるとの事で伝言を頼まれました。」

「はあ…先生が。そうですか。」

 

自分が余りに若いので僕は狼狽する。

しかも特に言う事もない。

 

「身体に気を付けて、その時その時を楽しんで下さい。あまり思い悩まない様に。きっと上手くいきますよ。」

「はい、ありがとうございます。」

「それではこれで。」

手袋を取ってやおら手を差し出すと、僕は若い自分と握手した。

妙な感じで、妹と手をつないだ時の様な感触だった。

 

僕は足早に立ち去り渋谷の街に出ると、さてこれからどこへ行こうか。と1999年冬の空気を吸い込んだ。

嫌いだった渋谷の街。

生意気ばかり言っていたデザイナー時代。

 

お前はドロップアウトして、これからその生意気な鼻柱をへし折られる事になるのだ。

でも、それこそが一番大切な糧となる。

だから過去の自分に伝えたい事なんて何もない。

 

こんな事を想像していると、布団の中で妙に満ち足りた気分になっていた。